更新:2021/9/16
夢のスケッチ
農業体験できるという民宿に行った。
若い夫婦が出迎えてくれたが無表情で目も合わさない。ご主人は奥さんの後ろにうつむき加減に立っている。奥さんが仕切っている感じ。それきりご主人の姿は見なかった。
食事や寝る場所などはさっさと案内してくれるが、よそよそしくて冷たい印象だ。
それなのに常にこちらの様子をうかがっていて目を離さない。食事の時もテーブルの真向かいに座り、目を合わせることもなく無言で一緒に食事をする。このような対応をされるとさすがに居心地が悪い。
朝になり、暗い土間へおりてみると早朝の淡い光でかまどがぼんやりと浮かんでいる。土間は冷え込んでいて、かまどに火が入れられる気配はない。
外へ出ると奥さんがこれから山に入って “木のチップ” を採りに行くという。体験型の民宿なので一緒に行ってもいいか尋ねると断られた。
勝手がわからないよそ者を連れて行くのは面倒なのだろうか。木のチップとは何だろうか。
山間部での生活に関わる重要な物のような気がしてたまらない。
滞在中はたいした農業体験がでないまま最終日になった。
これまでと同じ、無言で冷ややかな食事のときに、ふと昔やっていた水くみのことを思い出し、相変わらず無表情で目の前に座っている彼女に言った。
「京都の美山をご存知ですか。名水工場のそばにある水くみ場によく行っていました。活性炭などで浄化して飲料水にしていたのです。家で使う水は井戸と山水でした。」
と言うと、初めて目を上げて私の顔を見たが何も言わなかった。
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考察
街の暮らししか知らない私が、縁あって山間部の集落に家と畑を借り、田舎暮らしをしたことがあるが、正直言って失敗したため、再び街中の生活に戻って久しい。今はもう、その頃のことを思い出そうとしても忘れてしまったことが多くなった。
やむなく街中に戻った当初は寂しさと敗北感に苛まれ、今すぐにでもあの山間部の暮らしへ帰りたい衝動にかられたが、所詮他人の家を借りていただけなので、もう二度とそこに帰ることはできない。
街の生活しか知らない者は、どうすればよかったのだろうか。あれからずっと考え続けている。
自然に囲まれた生活はつらいことが多く不便で、自然災害や害虫、害獣被害など、生きていくだけで苦労した。
そのうえ基本的な生活費に加えて畑に関わる費用も多額で、冬は氷点下十度にもなる地域での暖房費はすごかった。
買い物に行くにも徒歩や自転車で行ける距離に商店はまったくないので、移動のための車の費用やガソリン代もすごかった。
生活するだけで支出が莫大なのに、収入は街とつながっている仕事からしか得られず、畑で収穫できるはずの作物は収穫直前に鹿やイノシシに荒らされてしまった。
水の確保も厳しかった。
井戸は浅いせいですぐに濁ったし、山水は雨のたびに泥水に変わったし、水汲み場の水はそのまま飲める状態ではなかった。
公共の水道は都市部とは違うシステムで異常なほど高額だった。しかしせっかく浄化された水道水は、家の水道管が老朽化が激しく漏水していたため、使うとき以外、元栓をしっかり閉めておかなければ、高額の水が文字通りの駄々漏れ状態だった。
自然災害への恐怖も街では経験できない。
山は雨が降っただけで道路が寸断され孤立することもあるし、橋は流される。裏山が崩れるかもしれない恐怖もある。実生活の中でサバイバルゲームをしているようなものである。
人間関係も全然理解できないことが多すぎた。
初めて経験する保守的な村社会にどうしても馴染めす、結局理不尽な言いがかりまで付けられたため、その生活に終止符を打った。
美しい自然に囲まれていても、それは人を守ってくれる存在ではない。
なのにどうして、再び街を離れたいと切に願い続けるのだろうか?
街中の生活では本来の生き物としての感覚は埋没していく。小手先だけで間に合ってしまう生活に甘んじていると体の機能は衰え頭も悪くなり、大衆の流れにのまれ、悪意ある単純なプロパガンダにいとも簡単に騙されて人生そのものを失っていく。
本当にこの目で見たいもの、感じたいものはコンクリートやアスファルトで固められた世界にはない。
その感覚はごまかさないで、忘れないでおきたい。
すべての環境の悪化スピードが加速し続けている。
この受け入れがたい現実から逃れるすべはあるのだろうか?
「秋だね。私がコオロギだったら鳴いてるよ。」
そうだね、そんなふうに素直に生きたいね。
民宿の女主人が山に採りに行っていた木のチップとは、山間部で暮らすための免罪符なのかもしれない。
今後再び山間部で暮らすことになった時は、木のチップを探しに行こう。