赤い山

夢のスケッチ

扉を開けると、ごつごつとした岩がむき出している赤い山があった。そこに人が蟻のように大勢群がっている。

「どこですか?ここはどこ?」と叫ぶ。通りすがりの人が「京都市内やんか」と、当たり前のように言った。

怖くて暑くて息苦しい。私は違う場所に行こうとして電車の駅を探した。
駅は赤い山の向こう側にあるようだ。


体を押しつぶすようなぎらぎらした日差しを避けるために、日陰を探して山の影側から裏に回った。
すると突然集落が現れ、小さな藁葺きの屋根の下で火が燃えている。炎が軒先に届きそうだ。私の背丈ほどもない軒下の闇に白い洗濯物が揺れている。今でもこんな集落があったとは知らなかった。わけがわからない恐怖で体が震える。


雨が降ってきた。私はこの先には行けない気がした。
駅を目指す人々の群れは歩みを緩めることなく、当たり前のようにぞろぞろ歩き続けている。

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考察

この夢を見た時、まさに私が感じた京都の景色そのものだと思った。

赤い山は京都のこだわりで、儲かるから大勢群がる。でも実際は藁葺きの小さな家で屋根を燃やさんばかりの火を焚いて、住人の小さな魂は家の奥の暗闇でゆらゆら外の通りを眺めている。

自身の卑屈さを解消する術は、奇抜な芸術(自称)。狂気を振りかざす作品で民衆を惹きつけると、それこそが京都文化だとほめそやされる。

京都に長年住んでいたが、とにかく暑苦しかった。京都が好きだとか住みたいとか、一度も願ったことはない。

長年というとなぜか京都に住んでいる人は代々京都人でない人までもが、35年以上でないと京都に住んでいたと言うなとか、数字で区切りを出してきたりする。私は25年くらいなので、京都に住んでいたとは言えない。

店に至っては200年以上の歴史がないと京都の店というなと言わんばかりである。

ついでに言うと、京都に住んでいると言っていい地域もあるようで、市内の北大路通、東大路通、塩小路通、西大路通で囲んだ地域しか、京都とは言わないのだそうだ。私がいた時の感覚では、もっと狭かった。北は今出川、西は東大路、南は五条、西は千本くらいだった。極端な感覚では御所の周りだけということである。

ついでのついでに言わせてもらうと、京都は世界の中心で、世界一の大都市で、東京やニューヨークなどは田舎であると、京都の人からはっきり面と向かって言われた(www)。

18歳からの多感で若い時代だった。京都が嫌でしょうがないからなんとか脱出したかったのに、京都で仕事したり結婚したり出産したり子育てしたり、濃い生活だったので、京都の感想は言える。

良いこともいっぱい言えるけど、今回は悪口です。ごめんなさいね。

水路閣の写真