更新:2021/9/17
夢のスケッチ
晴れた日の午前、すべての窓を開け放った。部屋の中を柔らかな風が波のように吹き抜ける。
クローゼットにしまってあった珊瑚色の布を部屋の端から端まで伸ばして張ってみる。
友禅染屋さんの2階作業場のようになった。部屋を通り抜ける風が布をもてあそびながら絵柄を描く。
幼い娘が手に風船を持って昼寝から起きだして来た。
赤い風船はどんどん膨らみ、娘は風に乗ってぷかぷか浮かぶ。
娘を乗せた風船は窓に広がる青い空に引き込まれそうに舞い上がり、私はあわてて娘の足をつかんで引き寄せると風船はしぼんだ。
友達がドライブに誘ってきたので出かけることにした。
晴れた海岸沿いの道。港では蜃気楼が現れ、見知らぬ砂漠の風景を映してゆらめく。
車窓から手を伸ばせば届きそう。
高速道路は空いていて、どこまでもどこまでも行ける。
どこまでも行くと道路は紙のテープに変わり、風に吹き飛ばされて大海原に消えていく。
私は紙くずと一緒になって旋風に翻弄され転がっていく、どこまでも。
吹き溜まりは東京タワーで、その根元のくぼみに転げ落ちた。
見上げると頂上に誰かいる。
老婆ははるか昔からそこに座ったまま放心状態。老婆は井戸の釣瓶のように滑車で糸を操る。誰もが疑いなくそれをエレベーターと呼ぶ。
東京タワーには風が届かず、ざらざらした空気は動かない。
エレベーターは永遠に静かに動き続ける。
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考察
夢の中で春風は心を軽やかにし、私も娘も友達も、春風と戯れて遊んでいた。
自由で幸せなイメージである。
しかし最後の東京タワーのシーンで、そこは吹き溜まりである。春風はすでに大海原に消えていって存在していない。
人々の心象風景の吹き溜まり、夢の吹き溜まりである。
吹き溜まりとは文字通りゴミ捨て場なのだ。
東京という場所はそういうところだと認識している。
無風状態の東京では、人々の荒んだ心は老婆のような昔からの権力者に容易に操られ、誰も疑うことはない。
“無風東京” は 全国に伝播しはびこり人の心を蝕む。
当の権力者は手綱を握ったまま自分が誰かも忘れてしまい、放心状態なのである。
夢の吹き溜まりに落ちて群れをなした人々が再び自由を得るには、自分の目をしっかり開け、実際は何の力もない小さな老婆を見、自分の手で絡まったロープを振りほどくしかないのだ。